NY vs DC

明日プレゼンなのだが、しかも一人でやる訳じゃないのでそろそろ準備しなくちゃいけないのだが、お休みモードが抜けないからか、この授業にあまり力入れてないからか、エンジンがかからん。とりあえずプレゼンを一緒にするもう一人の学生と昼頃落ち合って、段取りだけ決めた。

プレゼン自体は短いものだし、基本ディスカッションに持っていくだけの前降りなので、打ち合わせはほんの10分くらいで終わった。そのあとこの学生(個人的には初めて話した)とお互いのバックグラウンドとか聞き合う。職業経験1年、アメリカ20世紀史をやるwhite male。いかにもな感じだな〜と思いながら、私のまとまりのないこれまでの進路を説明したところで、「DCは肌に合わなくて」という点で急に盛り上がった。前にDCでインターンをしていたかなんかで、すんごいつまらない思い出しかないらしい。

DCが好きな人、嫌いな人ってすっぱり分かれる。私はそれほど拒否反応があるわけじゃないが、DCのソーシャライジングは温度の差を感じる。人間だから皆それぞれ交際範囲があって、類友になって当然なんだけど、できれば色んな種類の人たちが共生するような空気が好ましい。DCはなんとなく「政策関係」という一種類の基準しかないような気がして、つまらない。それでもって、政策関係の人たちはなぜか皆「Oh Are you doing a PhD? That's awesome! I'm also thinking of going back to school at some point and getting MY PhD."という。"My PhD"ってなんだ。それでもって、悪いが実際にPhDに進む人たちはほっとんどいない。だってPhDとったって結局今と同じような仕事したいんだったら意味ないし。私自身は別にPhDやってるからってすごい人種だとはこれっぽっちも思わない(だって好きでやってるんだもん)けど、「肩書きにあれば箔がつくから」みたいな理由で考えてる人がいると、なんか違うって思う。ま、パーティで上のように言われても「Oh ya?」って愛想笑いの一つもするけどね。

同じように、ハーバード付近(ケンブリッジ)は学問という価値観で統一されているような気がして嫌だ。誰それの新しい理論がどうだとか、そういうのを議論できるかできないかで価値判断されるのも、世間から浮いてるような気がする。

NYのいい所は、たとえばどんな有名な学者になろうが「あんた誰?」と言われるところ。どんな人だって一介の人だし、巷にいるその辺の人も、その筋ではすごい有名だったりして、そういう価値観のごちゃ混ぜ加減がたまらなく好きだ。