できること

レースに参加するために沖縄に向かっていたチェルシー地震の1.5時間前に離陸、そのまま那覇に着陸したので地震の被害はない。ついてから初めてテレビをつけて情況が少しずつ分かってくる。ちなみにるみねえに電話してもらわなければ、静かな沖縄では全く知らないまま一日くらいいたかもしれない。

手分けして東京にいる友人たちの安否確認。仙台にいるクリストファーとその家族の電話はもちろん繋がらない。テキストメッセージをしたら夜8時頃返事があって、避難所にいて無事だと分かる。彼らしい文句の一言も添えられていてほっとする。フェイスブックを見ると彼の安否が分からずパニック気味の友人たちのコメントが並んでいるので、私が受け取ったメッセージを載せておく。こんなことでも、カナダにいるクリストファーのご両親が見ることができて助かった、と後で聞いた。2日後にクリストファーがオンラインにもどってきて、直接話せて、安堵する。

しばらくはただただ被害の拡大をテレビで見て息を飲むしかなくて、もちろんレースはキャンセルされて、夏仙台で出会った人たち、宮城で手伝ってくれた多くの人達のことを考えて祈るばかり。リサーチの対象だった名取や岩沼の流されようがすごくて絶句。アメリカのNGOからこちらの医療機関と連絡をつけてくれというのでチェルシーと手分けして電話をする。

原発の状態がいよいよ深刻化してきたころに、チェルシー那覇でアパートを借りることを決め、それの手配。早稲田の友人ライアンが羽田までたどり着き、那覇まで飛んできてチェルシーに合流。ライアンのストレスレベルはかなり高くなってたみたいなので、これて良かった。ティムとミリョンは関西でママの保護化に入れるよう手配。東京で普段の暮らしを続けて頑張っている日本人がほとんどだけど、学者といっても外国にいてこんなことになり不安だろうし、アメリカで待つ家族も緊張しているだろうから、少しでも気が楽になるよう、私にできることをする。