暴動

被害者には申し訳ないけど、歴史家とか社会科学者にとってロンドンの暴動は実はよだれがでるほど興味深い。(私だけか?)


マックス・ウェーバーの有名な定義では国家とは「暴力を独占する装置」で、とっても説得力がある。こういう暴動が起こって収まりがつかない、というのは単に「怖いね〜」「ひどいね〜」で終わる話ではなくて、イギリスで「国家の行き詰まり」がいつ頃からどのように始まっていたのか、っていう重要な問題に繋がっている。傍からは意外でも広まり方からすると「起こるべくして起こった」感じがするし。しかもイギリス。昔天下をとった大帝国。いわゆる西洋先進国のさらに一歩先を歩いてきた国。これからの立ち回り方で21世紀の国家像みたいなのを左右しそうな気がするなー。


ちなみに、では暴動がなければ健全な社会なのか、という点。今キャンパスにいないから分からないけど、想像では、アメリカの大学生の中にはその(負)エネルギーを見て、多少なりとも(自分たちの行動力のなさに)後ろめたいというか、恥ずかしいというか、そういう気持ちがあるのではないかしら。これだけ原発問題やら失業問題で沸騰する要素があって、暴動の一つもおこらない、想像だにできない、その前に自殺してしまう、というのは果たして健全なのか。まさか今まで暴動が起こったことがない『和の国』という幻想を見てるわけでもあるまいし、百姓一揆やら学生運動やら、暴力は政治の一部だった近代史の方が長いわけだし。社会の不満のベクトルはどこかに向かうわけだから、小出しにした方がいいんだけどね。