美と倫理

4〜5年ほど、誓って化粧しない期間があった。肌もボロボロだし顔のつくりも地味だから、日本にいたら有り得ない話だろうな。要はMとの度重なる議論と当時読んでいたポストモダン理論のせいで、「化ける」ことの必要のなさだけではなくて、化粧をめぐる非合理性とか倫理の欠如を理解してしまったから。というとまるで鵜呑みにしてしまったかのようだけど、私なりに色々悩んで、自意識やコンプレックスとの戦いもあり、日本に帰れば知り合いから老けただの、やばくなっただの心無いこと言われるし、グサグサと傷つきながらの5年間だったのを人は知らないでいる。それでも、人の結婚式でさえノーメイクで通した自分が結構すごいと思う。


同じような理由で、こんなこと公けにするのもなんだが、ブラジャーをつけなくなった。というかアホみたいにワイヤー入れて寄せてあげて、みたいなのが耐えられなくなった。日本はどこにいってもポルノばっかりあるくせに、普段着にノーブラの人にはやったら白い視線。自然な状態をまるで悪魔をみるかのように嫌う。そのくせ整形手術は倫理的ではないという。化けたいのか、化けたくないのか、どちらかにして欲しい。


今は田舎の老人との聞き取り調査もあるし、各地で宗教や文化の違いもあるので夏は特にびっくりさせないよう気を付けるし、化粧も前ほどラディカルではない。ただ、許される限りしない。画一的な基準で「きれいな」人になろうとは微塵も思わない。一度解放されて見えてくるのは、規範にがんじがらめになって、最初から一貫しない価値観に右往左往する人たち。自分の一挙手一投足が社会にもたらす影響を想像できない人を見ると、哀れだ。